拝啓〇〇様

ほかの誰でもない、誰かに向けて

素朴なリベラルでいたいなと思うこの頃

比較政治学は専門外なのであまりくわしいことはわかりませんが、最近はセンセーショナルな政治のニュースが多いようですね。

 


N国・立花孝志代表「人と金はYouTubeで集めた」(19/07/21)

 

本当にいろんな政治思想があり、比較政治学を研究している人たちはすごいなあと思います。

 

また、ツイッターで政治に関して紅白運動会みたいなことをやっている人たちは、よくやってますよね。

 

左翼と右翼とか、その言葉の定義すらあやふやなのに、いやあやふやだからこそズーーーっと紅白玉入れみたいなことやってる。誰も玉の数かぞえてないのに。

 

地獄のようなリプ欄のバトルをみて、これが社会的分断、ないし social divisionだなあと感じています。

 

However, the fundamental problem facing American democracy remains extreme partisan division

 

 from How Democracies Die ( Steven Levitsky & Daniel Ziblatt )

 

最近だと、政府の大学学費無料政策から大学院が除外されたとかで、周りに結構怒ってる人がいました。

 

いろいろ、大変なようです。

 

ただ、そういう政治的混乱や政治に対する意見を見ていると、個人的な意見とかなり乖離があります。

 

僕は素朴なリベラル(のつもり)です。

 

つまり、国家は基本的に何もしてくれないし、あんまり良いものじゃない、というのが僕の根底の考えとしてあります。

 

自分の生活の失敗を国家が保証してくれるというのは、まあなんかディズニー的な幻想な感じがしますし、また自分の成功が国家のおかげとして敬うのもちょっと厳しいな、みたいな。

 

上記で引用した著書で述べられているように、政治の混乱の根本的問題は社会の分断ということで、つまりは社会が政治を作るんだと信じています。逆じゃない。そして、社会を作るのは個々人です。

 

だから政治が社会の分断をどうにかしてくれるというのはあまりに虫がいい話、というか筋違いな気がします。

 

無理なんですよ、そもそも。

 

政治にできることなんか本当に限られていて、それは社会の映し鏡の小さいやつみたいな感じで、社会を変えることも社会に対して影響力を持つこともできないと思っています。

 

これは別に政治に参加しようとする人を小馬鹿にしているわけじゃあなく、政治に参加するということは政治に参加するということであり、何か自分の幸せが叶うとか社会における幸せのパイが増えるとかそういう話とは全く別じゃないか、と思う次第です。

 

とくに、最近の「選挙に行けば社会がよくなる!」と叫んでいる人たちの話をみるに、何か政治が万能の神みたいな物だととらえられているのではないか、と思ってしまうのです。

 

大事なのは、僕ら個々人の信念であり、倫理であり、連帯だと思います。

 

社会的な分断を越えようとする姿勢は僕ら個々人に、そして連帯を実現する構造は政治ではなく社会の内部に求められるべきだと思います。

 

大学院生だって、ちゃんと金を出してくれるシステムを、国家というチャネルを介さず構築するべきなんですよ。それが『自由な学問』のあるべき姿じゃないでしょうか。企業に媚び売れって話じゃないですが。

 

社会的断絶、それはとても根深い問題ですが、僕は個々人のうちにおいて解決可能だと思っています。

 

僕らは政治を直接善くできません。

 

しかし、僕ら自身が善くあることで、社会を善くできると信じています。そして善き社会は善き政治をもたらします。政治が社会や個人をよくすることはあまり期待できないと思います。

 

これはもちろん個人的な意見であり、皆さんの政治思想と生き方を尊重します。

 

そのために、よりリベラルな社会があって欲しいと思うばかりです。個人的には。